紅葉の賀、源氏の語る藤壺の話

わたしは、十二で元服の式をあげた。(桐壺3・5~6)
私は男らしく髷(まげ)をゆい冠をかぶる、私を父はしげしげと見る。
その様子で私はわかった。
父である帝は九年も前に亡くなった私の母が忘れられないに違いない。
だって父は泣きそうなのを我慢しているではないか。

私は男の舞を舞う。かわいいとか、すばらしいとか、天才だ、とか色々に褒められる。

だが、どんなに好かれても、本当は、私はその日の元服を憎んでいた。
大人になった今日からは、あの人に会えなくなる。

あの人は、父帝のあたらしい側室。
わたしにとっては、亡くなった母のおもかげ。
母に似ているというあの人を私は心から慕っていた。
あの人の名は藤壺。私より五歳だけ年上。

つい昨日までは、私は子供だった。
あの人と、あの人の部屋で、あの人と昼も、そして夜も、そばにいて、じゃれあって、甘えることができた。
今日からは、あの人と一緒にいることができない。
御簾というスダレと几帳というカーテンの向こう側に、大人の男は入ることができない。

おまけに、父が決めた有力者の娘と結婚しなくてはならない。
左大臣の娘であるその人は美しい人だが、私は心惹かれない。
あの人と、結婚したかったのに。

もっちろん、大人の世界はすみずみまで、知ってみたい。
男友達の恋愛の失敗談を聞くのはおもしろい。
いろいろな女がいて、いろいろな身分があり、いろいろな事情がある。
大人の恋の冒険もしたい。
しかし、あの人と比べられる人はいない。

あれから六年。十八になっても私はあの人を思っていた。
あの人、藤壺の宮は宮中の奥にいて、姿をみることもできなかった。
ただ、時々ある催しの折、藤壺の演奏に勝手に心を通わせる。(桐壺3・8)
裏に回って藤壺の話す声をそっと聞きにいったりもしていた。
だが、チャンスがとうとう巡ってきた。

藤壺の宮が病気になったのだ。(若紫2)
藤壺が里帰りをする。
帝のいる宮中には入ることができないが、実家なら会うことができる。
私は、気がせく。いてもたってもいられない。
召使の女房に手引きを頼む。

そして、念願はかなった。部屋に現れた私に藤壺は驚いてはいた。近くにいると子供のころとは随分変わっただろう。
夏、四月。逢瀬は短かった。
その夜、どんな月が出ていたのか、どんな風が吹いていたのか、私はよく覚えていない。
一生に一度の幸せのはずの逢瀬なのに、現実のような気がしないのはなぜだろう。
大人になって逢う藤壺は、やはり優しく、いじらしく、気高く、欠点のひとつもなかった。昔のように私を受け入れてくれた。

私はつらい。そして悲しい。

私は歌を贈る。「見(み)てもまた 逢(あ)ふ夜(よ)まれなる 夢(ゆめ)のうちに
やがて紛(まぎ)るる 我(わ)が身(み)ともがな」
歌の意味はこんなふうだ。もう二度とあなたと逢えないかもしれないのに。こんなに愛しているのに。愚かにも夢をみているとは。私は、夢の中に紛れ、そのまま消えて、そのまま死んでしまいたい。

藤壺はその場で歌をくれる。涙にくれる私をかわいそうに思うのだろう。

藤壺の歌「世語(よがた)りに 人(ひと)や伝(つた)へむ たぐひなく
憂(う)き身(み)を覚(さ)めぬ 夢(ゆめ)になしても」
こんな歌だ。
私は辛い。人が知ったら、このとんでもない不倫をどう思うでしょう。
私もこの夢から覚めたくない。わたしは、夢のままにして、消してしまいたい。

その後、私は藤壺にあてて何度も何度も手紙を出した。(若紫2・2~3)
だが、彼女は私に、だだの一行の返事さえくれなかった。
秋、七月、藤壺は宮中に戻った。まもなく私は藤壺が妊娠三ヶ月だということを聞いた。帝は喜んでいるという。だが、私の子だ。
藤壺の宮は悩んでいるのだろう。
高野山の僧侶に祈祷までしてもらっているらしい。
もし、私の子であるなら、夫である帝の前で罪の意識におびえ、ご自身の運命を呪っているかもしれない。

そして、この私も恐ろしい。
帝の女に手を出したことが世間に知られたら。。。
だが、たとえ、破滅が訪れたとしても、私ははじめて自分の子を生む藤壺に会いたい。

紅葉(もみじ)。
死んでゆくもの。
少しずつ少しずつ赤くなる葉。それは、前触れ。
紅葉をきっかけに、さびしい冬の世界となる。

もみじの宴(うたげ)。その十月十日(紅葉の賀1)
宮中の貴族が一堂に集まる。帝である桐壺天皇。左大臣家と右大臣家の面々。それから、役人たち。
私は舞を舞う。藤壺はスダレの向こう側にいて私を見ているに違いない。
皆が私の踊りに感動をしている。
光源氏、名前のとおり光っているのだろう。
だが、私は藤壺がどう思っているのかだけが、知りたい。

我慢できずに、その日もまた、藤壺に歌を送る。懲りずに返事を期待する。
私の歌「もの思(おも)ふに 立(た)ち舞(ま)ふべくも あらぬ身(み)の
袖(そで)うち振(ふ)りし 心知(こころし)りきや」
こんな意味だ。あなたが好きで動けない。
袖を振るときもあなたのために、足を踏み出すときもあなたのために、あなたの事だけを思って、私は踊った。その心、伝わってほしい。

藤壺から返事が届いた。久しぶりに見る藤壺の文字。やはり感動は伝わったのだろうか。
藤壺の歌「唐人(からひと)の 袖振(そでふ)ることは 遠(とほ)けれど
立(た)ち居(ゐ)につけて あはれとは見(み)き」
あなたの立つ姿、座る姿、素晴らしかったと思います。
でも、なにか、遠い国の踊りを見ているみたいでした。

それだけだった。それでも私はお経のように大切に何度も見ていた。

春。二月。藤壺に子供が生まれた。(紅葉の賀3)
はじめ、藤壺は子供を夫である帝には見せたがらなかったという。
だが、帝は何の疑いもなく素直に喜んでいた。
帝は、子供が私に似ていると言った。

源氏も小さな頃かわいかったが、この子もかわいい。だから、同じに見えるのだという。
私は、帝の前で動揺が顔に出ないか心配だったし、恐ろしくも、かたじけなくも、うれしくもあった。

世間でも、帝の新しい子は、源氏に似て、すばらしい、と評判だった。
それを不審に思うのは日数を数えていた弘徽殿の女御だけだった。
すべてが、丸く収まったようにも思われた。(紅葉の賀5)

その後も、私は機会を狙って藤壺に会いに行ったが、
藤壺は病がちとなり、私を拒むようになった。(賢木3~5)

私の恋の報いはそれだけでは終わらなかった。ついに、因果をおそ畏れた高野山の僧侶が、子供の出生の秘密を明かしてしまったのだった。(薄雲4)