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月いと明うさし出でてをかしきを、源氏の君、酔ひ心地に、見過ぐしがたくおぼえたまひければ「上の人びともうち休みて、かやうに思ひかけぬほどに、もしさりぬべき隙もやある」と、藤壺わたりを、わりなう忍びてうかがひありけど、語らふべき戸口も鎖してければ、うち嘆きて、
「上の人も休んでるし、思いがけない隙があるかも」意中の藤壺に会いたいなと忍んで伺い歩く光源氏
なほあらじに、弘徽殿の細殿に立ち寄りたまへれば、三の口開きたり。女御は、上の御局にやがて参う上りたまひにければ、人少ななるけはひなり。奥の枢戸も開きて、人音もせず。「かやうにて、世の中のあやまちはするぞかし」と思ひて、やをら上りて覗きたまふ。
弘徽殿の三の口が開いている。人の気配がないので「やをら上りて覗」く
人は皆寝たるべし。いと若うをかしげなる声の、なべての人とは聞こえぬ、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦じて、こなたざまには来るものか。いとうれしくて、ふと袖をとらへたまふ。女、恐ろしと思へるけしきにて、「あな、むくつけ。こは、誰そ」とのたまへど、「何か、疎ましき」とて、
若くて「おかしげなる声」の人がやってきたので、袖をとらえる源氏、女恐ろしく「誰だ」
深き夜のあはれを知るも入る月のおぼろけならぬ契りとぞ思ふ
「おぼろけならぬ契り」が歌のポイント。
とて、やをら抱き下ろして、戸は押し立てつ。あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり。わななくわななく、「ここに、人」と、のたまへど、「まろは、皆人に許されたれば、召し寄せたりとも、なんでふことかあらむ。ただ、忍びてこそ」とのたまふ声に、この君なりけりと聞き定めて、いささか慰めけり。
抱き下ろす、「あさまし、あきれたる」「わななく」女。「ここに人がいる!」と声をだす女に源氏はなんと言ったか。「この君なりけり」
わびしと思へるものから、情けなくこはごはしうは見えじ、と思へり。酔ひ心地や例ならざりけむ、許さむことは口惜しきに、女も若うたをやぎて、強き心も知らぬなるべし
この部分は難しいですね。女が手弱女で強い心を知らない、というのは作者の意見らしい
らうたしと見たまふに、ほどなく明けゆけば、心あわたたし。女は、まして、さまざまに思ひ乱れたるけしきなり。「なほ、名のりしたまへ。いかでか、聞こゆべき。かうてやみなむとは、さり とも思されじ」とのたまへば、
あわただしい。女は思い乱れる。「名乗ってください」と言うのはどっち?
憂き身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ
と言ふさま、艶になまめきたり。「ことわりや。聞こえ違へたる文字かな」とて、
「いづれぞと露のやどりを分かむまに小笹が原に風もこそ吹け
わづらはしく思すことならずは、何かつつまむ。もし、すかいたまふか」とも言ひあへず、人々起き騒ぎ、上の御局に参りちがふけしきども、しげくまよへば、いとわりなくて、扇ばかりをしるしに取り換へて、出でたまひぬ。
家庭教師がお手伝い 目次>古文の学習>朧月夜
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文脈の流れは、
源氏が「思いがけない」「適当な隙があるか」と藤壷あたりを「忍んで伺って歩く」が「戸口が閉ざされている」ので「嘆く」
スキを探しているのだ。いったい何の?次の行に「語らふべき戸口」とある。戸が開くかどうか確かめながら歩いてる!つまり建物に忍び込もうとしている。
藤壷には源氏の片思いの相手である人妻の藤壷がいる。藤壷側も戸締まりは完璧。
「さりぬべき」然り+ぬ強意+べし=しかるべき、適当な
『も+や+ある』疑問=あろうか 隙の読みは「ひま」
わりなし=よくわからない場所を忍んで、様子を伺いながら、歩いている。藤壷に忍びたくて、「わりなし」はむやみにやみくもに戸を確認しているというニュアンスだろう。
『ありく」歩く「鎖す」=鍵で鎖されている
なほあらじに
藤壷から弘徽殿(こきでん)へやって来た。すると、三の口が開いていて、奥の枢戸も開いていた。
女御が不在で人(女房とか)が少ない。「やをら(そっと)」上がって覗く源氏。
「世の中のあやまちは~」
空き巣が「この家不用心だな、こんな不用心だったら男が忍んで来てあやまちの元だぜ」と言ってるような〜
人は寝たるべし(ようだ)。ん!(急展開)若くてをかしげなる声で並一通りではない声(同格のの)の人が鼻歌を歌いながらこなた(こちら)ざま(のほう)へやって来る(「ものか」で悩まないように)。うれしくて袖を捉えた。女は当然、恐怖。キャーとか叫ぶ代わりに「むくつけ=気味が悪い!誰です!」と声を出す。う〜ん上流階級の応答!(鼻歌の「朧月夜がすばらしい」より、この女の人は「朧月夜」と呼ばれています。また、「のたまふ」は敬語が使われています。)
「なにか、うとましき(反語)=嫌がることはない」と、とっさに応える。
深き夜の
こんなときでも、歌。余裕ですね.。この歌の「おぼろげならぬ」が「朧月夜」と掛詞になっていて、用意して来た歌ではなく即興とわかるわけです。歌の中心は「おぼろげならぬ契り」=並大抵ではないご縁。今回の出会いは縁だというわけです。前世からのね。
歌の前半は夜のしみじみとした情趣について言って、それを迫る理由にしている。
抱き下ろして戸を閉める。
「呆る」=呆然とする、その様子が「なつかし・をかし(かわいい)」源氏物語の地の文によく出てくる語り手の描写ではある。。。
女わなないて「人がいるわ!」と助けを呼ぶ。
男は「私は皆に許されている」これは実際にそうなのか、自信家としての嘘なのか。
「人を召す=呼んでも、なんということはない(現代語と同じ)」警察呼んでも平気だ、なんて実際に聞くと怖いです。
女の心情が変化する。その訳は、「この君なりけり(であった)」と「聞きさだめ」たから。
源氏の声を知っていたから。
朧月夜が恐怖から「少し慰んだ」
わびしと
けむ=過去推量、だったのだろう
なるべし=であるのだろう。
だから、この一文は語り手の説明。酔っぱらったのがいつも以上だったのか、女が若くて断る強いこころを知らなかったのだろうと。こういう出会いは望ましくないが仕方ない〜みたいな。
らうたし=かわいいとご覧になっているうちに夜が明けてゆく。もちろん、一夜を過ごしたうえで。女は思い乱れている。男のセリフ
「名乗ってください」というが、女は名乗れない事情があるのでしょう。
「どうやって(連絡を)申し上げるの」「かくて、止みなむ=関係がおわりになってしまう」『そんなことはお思いになられまい」(おぼすは敬語だから相手の行為)
ん、ん、源氏が本気になったようだぞ。
男に連絡先を教えない事情とは何だろう
名乗ってくれ、に対する歌での返事「憂き身」を「消えなば=消えてしまったら」あなたが「訪ねても」「草の原を問うことはあるまい」と思う。
(名乗った所で)私のような者を尋ねてはくれまい、と歌う。
いづれぞと
もこそ=したらこまる。
「風もこそ吹け」風が吹いたらいけない。なぜ??さて、この歌は「小笹が原」や「露のやどり」を「分く」という言葉を知っているのが前提のようですね。平安時代では常識だった知識。
註があればいいのですが、ここでは、文脈から、素性を明かさないのは「風が吹いたらまずい」と捉えておきましょう。噂とか人に見られることに男の源氏が理解を示している。「聞こえちがへたる」=申し上げまちがえた、と譲歩した上で、この歌。
朝になったので人々が起きだした。隠れてここから出なくてはならない。