花の宴 朧月夜の物語 (後編)
       
        「梓弓(あづさゆみ) いるさの山(やま)に 惑(まど)ふかな 
        ほの見(み)し月(つき)の 影(かげ)や見(み)ゆると 」 
        「私はこの弘徽殿の山のなかで迷います。 
        あなたの扇に描かれていた月が見えない。扇の月はどこにいるのか、私は知りたい。」 
        御簾の向こうから 
      女が、我慢できないように、歌でこたえる。 
       「心(こころ)いる 方(かた)ならませば 弓張(ゆみはり)の 
        月(つき)なき空(そら)に 迷(まよ)はましやは 」 
        いいえ、迷いはしないわ。あなたの扇、私も持っているわ。真剣に持っていたわ。 
      ああ、この声。この声。朧月夜の声。 
        うれしい。やっと分かった。朧月夜も扇を持って待っていたのだ。 
        だが。 
      間 
      朧月夜は弘徽殿の六番目の娘であった。(葵3・2・27) 
        彼女は父親にそれとなく、源氏と結婚できないかほのめかしてみた。 
        父はそれも悪くないといったが、姉はとんでもないと言った。 
        姉、弘徽殿の女御の意見が通り、朧月夜は新しい帝に仕える尚侍(ないしのかみ)となって宮中に入った。(賢木2・3) 
        ゆくゆくは帝の奥方になる。 
        そして、夫になる若い帝、朱雀天皇は朧月夜を愛しはじめていた。 
      一方、源氏と朧月夜は隠れてつきあっていた。(賢木2・4) 
        ある時は、姉たちも住む御所で、 
        またある時は、仏の祈りの式が行われている物陰で、 
        秘密の逢引にふたりは燃えた。 
      ある時、朧月夜が病気にかかり、源氏は朧月夜の実家にこっそり通う。(賢木7) 
        毎晩、毎晩、朧月夜は家の鍵をそっと開けておく。 
        弘徽殿の女御も住んでいるその家に源氏は通ってゆく。 
        これは、少々スリルがある。 
      華やかな朧月夜は、病の養生で少し太ったのも魅力的だ。 
      だが、  ある雷の鳴る夜のことだった。 
        いつもはいない朧月夜の父親は、急な雨のせいでその日は遅くまで家にいた。 
        雨が建物の中に吹き付けてくる。 
        父親は朧月夜の病気が心配になり、いきなり、スダレを上げてのぞき込む。 
        朧月夜は心臓が飛び上がる。 
        「このたいそうな雨の中、お体の調子はどうですか。!。どうしはった。お顔色が悪いようどすな。お薬やおまじないは、あんじ良う、しといた方がいいですよ。あれ? 帯?」 
        朧月夜の着物に、薄い藍色の男物の帯がまとわりついている。 
        手紙も落ちてもいる。 
        「や、落ちとる、誰の手紙や。」 
        父親は手紙を拾い、ついたての向こうを調べる。 
        そこに、男が寝て顔を手でかくしていた。父親のせっかちさを笑っているようだった。 
      父親はまず、弘徽殿の女御のもとに向かった。 
        「この手紙、源氏の筆跡だす。臆面ものう、朧月夜のところに寝ておりました。情けない。いろいろ女で噂もある男だす。しかも帝の神聖な婚約者ところに忍んで通うとは。自分がどうなるかも分からずに通っているんですな。男のサガとはいえ、とても正気とは思えまへん。」 
        弘徽殿の女御はさらに激しい気性であった。 
        「お父さんは源氏に甘い。冗談でも以前源氏と妹を結婚させるみたいな事を言いました。恥ずかしい。あの男。恐れ多くも帝の女に手を出すとは。朧月夜もです。私は妹の名誉と思って、ひとに劣らないようにと思ってやってきたのに。よりによってあんな馬の骨になびくとは。家族を裏切り、帝を裏切る。帝は帝でしっかりしてない。あんな源氏に馬鹿にされて。源氏は、きっと私たちを追いつめて自分が天皇になるつもりなのです」 
      そして、源氏が謀反をたくらんでいるという噂が都中にながれた。(須磨1) 
        源氏の政治生命は終わった。未来は無くなった。 
        昔から、隠遁生活を送りたいと思っていた、遠い須磨の浦で若くして余生を送ることを決めた。 
        島流しをされる前に、自分から都を去るのだ。 
        朧月夜にはこっそり別れの手紙を送った。(須磨1・5・8) 
      朧月夜は、世間から笑われていた。帝との婚約も消えた。(須磨2・4) 
        父が帝に謝った。 
        実は、帝は、朧月夜が源氏とつきあっていたのは、とうに気づいていたのだった。 
        帝は朧月夜に言う「わたしも源氏がいなくなったのは、実はさみしいのです。」 
        慰める帝。泣く朧月夜。 
        帝は朧月夜をゆるす。   朧月夜は再び帝に仕えることになった。 
      やがて、朧月夜は帝の深い愛情を感じるようになってゆくのだった。源氏はこれほど真剣ではなかった。と、思う。(澪標1・2) 
       
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