源氏物語 夕霧


センター試験問題(2014本試)を解く

試験問題はこちらの第3問解答

 以下のようにして意味をとっていくと登場人物は二人だとわかる。妻の三条殿(雲居雁)と夫の大将殿(夕霧)。他に子供達(君・姫)も少しでてくる。

三条殿「限りなめり」と「『さしもやは』とこそ、かつは頼みつれ、『まめ人の心変はるは名残なくなむ』と聞きしは、まことなりけり」と、世を試みつる心地して、「いかさまにしてこのなめげさを見じ」と思しければ、

 会話部分の「頼みつれ+なのに、心変わりはまことだ」という妻三条殿の「心地」と推定。前書(リード)文にある妻が「実家へ帰る」心境だろう。だから独白。まめ人(まじめ)な人が浮気するとのめりこみやすいのは平安時代でも言われていたのか、などと思いながら読む。「いかさまにして~見じ」=見るまい、という強い意思。「なめげさ」を見るまい。

大殿へ「方違へむ」とて渡り給ひにけるを、女御の里におはするほどなどに対面し給うて、すこしもの思ひ晴るけどころに思されて、例のやうにも急ぎ渡り給はず。

 注に(父の邸宅)とあるのは実家のことだろう。前の独白に続いて「実家へわたる」「姉妹と対面して物思いが晴〜」などから、妻の行動のことだとわかる。

大将殿も聞き給ひて、「さればよ。いと急にものし給ふ本性なり。このおとども、はた、おとなおとなしうのどめたるところ、さすがになく、いとひききりに、はなやい給へる人々にて『めざまし、見じ、聞かじ』など、ひがひがしきことどもし出で給うつべき」と、驚かれ給うて、三条殿に渡り給へれば、

 夫の大将夕霧にも誰かが伝えたのだろう。前同様独白で「急にする本性。のどめたるところがない、ひっきりない…人々だ」夕霧は妻だけでなく妻の家族についても悪く思っていて、性急だと愚痴っていいるようだ。独白最後の「つべし」は強調で「ひがひがしいこと」をきっとするだろう。こんな風に妻を見ているから「なめげない」態度で接しているのか。

君たちも、片へは止まり給へれば、姫君たち、さてはいと幼きとをぞ率ておはしにける、見つけて喜び睦れ、あるは上を恋ひ奉りて、愁へ泣き給ふを、X心苦しと思す。

 「幼い」とかあるので、子供達の状況のようだ。リード文にもあったように子供はたくさんいて「片へ」は家に残っていた。父が戻って来た。状況から(女の子と幼い子は連れて行ったが)「片へは父を見つけて子供たちが喜び睦んだ」と読む。母がいないと恋い泣く子供を父夕霧が「心苦し」と思った。主語がなくても状況で理解するのが古文。途中挿入があるが慣れていれば読める。

消息たびたび聞こえて、迎へに奉れ給へど、御返りだになし。「かくかたくなしう軽々しの世や」と、ものしうおぼえ給へど、おとどの見聞き給はむところもあれば、暮らしてみづから参り給へり。「寝殿になむおはする」とて、例の渡り給ふ方は、御達のみさぶらふ。若君たちぞ、乳母に添ひておはしける。

 主語がないけれど筋からわかります。夫が「消息」を度々して迎えに行ったけれど「返り」さえない。「かたくな・軽々し」を「ものし」と思った。ついにみずから参上した。例のところに妻はいない。ずっと夕霧視点が続きます。実家は「寝殿」や「例の方」など広そう。妻が寝殿にいる訳は…

A「今さらに若々しの御まじらひや。かかる人を、ここかしこに落しおき給ひて、など寝殿の御まじらひは。ふさはしからぬ御心の筋とは年ごろ見知りたれど、さるべきにや、昔より心に離れがたう思ひ聞こえて、今はかくくだくだしき人の数々あはれなるを、『かたみに見捨つべきにやは』と、頼み聞こえける。はかなき一ふしに、かうはもてなし給ふべくや」と、いみじうあはめ恨み申し給へば、

 会話文は難しいですね。ABCはセットで考える。まずは話者の推定から。疑問や反語に感情が込められています。問5の設問自体がヒントにもなります。場面が一転、実家内のどこかですね。Aでは「今さら若いまじらいかっ」とか「ふさわしくないお心とは知っている」とか、非難だとはわかります。誰が何を非難しているのか。妻が夫の女(かかる人)とのふさわしくない浮気の交らいを責めているのか、子供を(ここかしこ)に落とし置いていることで夫が妻を責めているのか、いずれかと推定。また、「昔から心に離れがたい」とか「頼りにしている」など言っているのは、なだめてもいるようです。

B「何ごとも『今は』と見飽き給ひにける身なれば、今、はた、直るべきにもあらぬを、『何かは』とて。あやしき人びとは、思し棄てずは、嬉しうこそはあらめ」と聞こえ給へり。
C「なだらかの御答へや。言ひもていけば、誰が名か惜しき」とて、強ひて渡り給へともなくて、その夜は独り臥し給へり。

 B、あなたは「見飽き」なさった。「何事も」「何かは」に強い意思があるようだ。語調や反語に、嫌味と皮肉が込められていそうだ。こういう時は古今東西、夫の女性関係か子供について話すだろうと常識的に思いめぐらす。「お飽きになられた自分の身の上なので」から浮気された女のセリフのようなので、まずBは妻の発言説が濃厚。自分は「直るはずもない」。子供を「棄てなければ嬉しい」。一貫して妻の皮肉な言い方は現代でも同じようなもの。早い話が「子供達について後はよろしく」で問5のポイント。
 Cは「なだらかの答え」「名が惜し」こちらもケンカ腰の台詞で相手に応酬しているようだ。

「あやしう中空なるころかな」と思ひつつ、君たちを前に臥せ給ひて、かしこに、また、いかに思し乱るらむさま思ひやり聞こえ、やすからぬ心づくしなれば、「いかなる人、かうやうなること、をかしうおぼゆらむ」など、Yもの懲りしぬべうおぼえ給ふ。

 寝ながらも夕霧に思いが去来しています、「かしこ」を「おもい+やる」夕霧。「いかなる人、このようなこと(恋愛のごたごた?)を『をかし』とおもうだろう」「懲りそう」平安時代の恋愛観(つまり色好みとか)に実直な夕霧が不審です。紫式部の見解もあるのかな。

明けぬれば「人の見聞かむも若々しきを、『限り』とのたまひ果てば、さて試みむ。かしこなる人びとも、らうたげに恋ひ聞こゆめりしを、選り残し給へる、『様あらむ』とは見ながら、思ひ棄てがたきを、ともかくももてなし侍りなむ」と、威し聞こえ給へば、「すがすがしき御心にて、この君達をさへや、知らぬ所に率て渡し給はむ」と危ふし。

 ここの会話の話者はわかりやすいのではないでしょうか。「限りとおっしゃるなら、そう試みよう」。「かしこなる人々」=子供達(家に妻が選び残した)は「恋慕っているようですが」あなたが「お残しになったのだから」私が「ともかくもてなしましょう」と脅かす。「この君達さへ」は連れて来た子達だろう。脅かしを実行して「知らぬ所へ連れていく」のではないか、あやうし、妻。

姫君を、「いざ、給へかし。見奉りにかく参り来ることもはしたなければ、常にも参り来じ。かしこにも人びとのらうたきを、同じ所にてだに見奉らむ」と聞こえ給ふ。

 女の子に「お家へいらっしゃい、ここに私は来られないだろう、家にはかわいい兄弟もいるし」と連れ戻そうと夕霧が口説いているのですね。

まだいといはけなくをかしげにておはす、「いとあはれ」と見奉り給ひて、「母君の御教へにな叶ひ給うそ。いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いと悪しきわざなり」と、言ひ知らせ奉り給ふ。

 子供に「お母さんの教えに、かなってはいけない」母は「いと心憂し」「いと悪し」と教え込む父親。

 この夫妻夕霧と雲居雁は、幼馴染で相思相愛で、娘の父の引き離しにも負けず六年越しの恋愛を成就させたという、源氏物語中珍しい純愛ストーリーだったのに。。。二人は子沢山(8人)のにぎやかな家族。夕霧は低い身分から勉強がんばった人でまた、昔垣間見た父光源氏の妻、紫の上をひそかに思っていたりもする。それでもって、今回の三角関係の結末なんですが、まじめ人間らしく、雲井雁と落葉宮に隔日に月十五日づつ「うるわしく」通いつづけるという。。。。。さらに、娘が匂宮と結婚してからは、匂宮の好色を宮中で「許しなくそしる」のだ。

家庭教師 目次試験に出ない古文>源氏物語夕霧

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文脈把握による読解で古文の学習

古文の学習のための注釈。まず、敬語は子供ふくめ全方面に使われているから人物特定の役にはたちそうにない。ただし会話では相手の行為に敬語を使う、当然!
 
「限りな(めり)」訳してみると「限り『である』(ようにみえる)」。「である」は断定。限りは「限りな人」とか言わないので形容動詞でなく名詞だと現代語からもわかる。

妻は「限界だ」と思う一方「さしもやは=指示+強調+反語≒そうだろうか?」と「頼みつれ=信頼してた・期待してた」
『しかし(こそ〜已然形、で逆接)』
「まめ人(真面目)の心変わり」は「名残なく=残りなく」と「(話に)聞いた」のは「まことだった」。揺れる女心。
「いか様=どの様(よう)=なんとかして」この(夫の)「なめげ・なめし=無礼、『なめる』の語源」を「見るまい」
 夫の無礼は本文部分からだけでも推測できる。

「方違(かたたが)へ」方角が悪いのは泊まりに出かける口実?
 姉妹の女御に対面してもの思ひ「晴るけ」晴れた
「例=いつものように」は急ぎ「渡らない」(多分夫のいる家に帰らない)。
 平安常識の「通い婚」に反して?この夫婦が同居しているのもわかる。子だくさんらしいし、夫の「夕霧」が「まめ人」実直であるし。(豆⇔あだ)ちなみに、源氏物語では同居している夫婦はうまくいったためしがない。  

 
「さればよ=だからよ=やはり」あいつは「急にものす本性=急になにかする本性」だ。妻を悪く言っている。
 父も「おとなし=大人=分別ある」「のどめたる」ところがない。
 一家も「ひききり=ひっきりなしの語源」に「華やいでいる」。華やいでいるのは(自分にとって)悪い。注にある「事を荒立てる」は意訳だろう。
 家の人たちが「めざまし=心外だ」「見じ、聞かじ=見るまい、聞くまい=お前なんか見るまい」と言い出して「ひが(僻)=間違い・偏る『ひがみ』の語源」事も「し出す」「つ+べし」今にもやりそう。きっとやりそう。

「驚かれ給ひて」「る、らる」は大きいものに自然に従う自分の意思からではない行為の出現を意味する。無責任感覚?だから受身、(不)可能、尊敬の意をもち「自発」も「足が自然に歩かれる」などと古文では今より広く使われる。

 子供達も「片へ=片一方」は家に「止まる=泊まる・とどまっていた」ので「妻は女の子、さては幼児を連れて行ってしまったが」「片へは(お父さん)を見つけてよろこぶ」。
「さては」大抵の高校で習う「若紫」にあったの覚えてますか?「=それから」。
 「女の子とそれから幼い子を妻は連れていったのだな」が挿入部分のようになっている。
「見つけてよろこび睦んだ」のは家に戻って来た父を見つけた子供達。
 「上=(○○の上など女性によく使われる)母」を恋して泣くのを「心苦し」と夕霧は思う。平安貴族の家でもにぎやかなものだ。
 問3 「心苦し」の意味ではなく文脈をおさえる
 
「消息(せうそこ)=連絡、今も使う」して迎えも出したが「お返りだになし=返事さえない」
夫夕霧は「かたくな・軽々し」い「世=夫婦」だと思う。
「ものし」は「物の怪」の「もの」=気分が悪い。
「暮らして」『夜を明かす』とは今でも言うが「暮れる」にも他動詞があり「昼を暮らす」と昔は言ったんだな〜。妻の実家へ参上。
注に「寝殿に女御の部屋がある」とあるが、妻が姉妹とおしゃべり?しに「寝殿にいる」ようだ。「例の=いつもの」方には、子供たちが御達と乳母といるということだろう。実家に妻の部屋もあるのだろう。平安の話を読んでいて想像しにくいのが部屋の様子や生活だな。






  A 「若々し」はあとでも夕霧が使っているが「子供っぽい」という非難らしい。「御まじらい」が二回でてくるが、「姉と対面して気が晴れた」とあるようなこと、「寝殿」という場所に妻が姉といたことを考え、妻にたいして子供を放っておいてと非難しているようだ。
 お前は「ふさわしくない」と「年ごろ=何年も」前から知っている。しかし「離れがたい」
 「互いに見捨てつべきやは=見捨ててしまっていいだろうか(疑問+は、大抵反語)」子供を見捨てるとも夫婦を見捨てるともとれそう。
「はかなき」ちょっとした「一ふし」のせいで、おまえのように「『かう』は」「もてなす=なす」べきでしょうか。「はかなき一ふし」は今で言うちょっとした浮気のことか、それを受けて次に妻が「飽きられた」と言う流れ。選択肢「子育ての苦労」は関係ない。
 簡単にまとめるA「子供っぽい姉妹のおつきあいですか、あちらこちらに子供を放っておいて、どうして寝殿で話しこんでいますかね。ふさわしくないとは前から知ってるが、私は昔から離れがたく思っていて、今はかわいそうな子供達がいるのを「互いに捨てるはずがない」と頼っていた。ちょっとしたことでこうなさっていいものでしょうか」


 B 何事も「今はもう」とあなたが見飽きなさった私の身。なれば(ふさわしくないと言われても)「直るはずもない」「何かは(直りましょうか)反語」
  相手に飽きられたと考えているのは妻側なので、Bは妻の発言。
「あやしい人々」子供達を見捨てなければうれしいことだ。「思す」は尊敬語だから相手、夫の行為。「ずは≒ずば」
選択肢「なにをしようと勝手だ」は言いすぎとも思うが、お願いや責任を負ってくれではない。
子供について「あやし」とか「くだくだし=砕砕し」というのは、どういう感覚なのだろう。

 C 「なだらか=現代語から推測」穏やかな答えですね、と夫の皮肉。
「いいもていけば誰が名か惜しき」なんとなくケンカ腰。
「名」は平安のよくでてくる感覚。世間の評判。さて、これは自分の評判なのか相手の評判なのでしょうか。
「渡り給へ」はなかったので、一人寝。さて、この「渡りたまへ」は「来い」でしょうか「帰れ」でしょうかね。





 「あやしう中空~」一転、寝ながら「かしこに」思いを馳せる夕霧。
 どんなに「思い乱れて」いるだろうと「思いやり=思いを遠くへやる=想像する」「こころづくし=心を尽くす=すり減らす」をする。これは前書にあった、意に反して深い仲にした落葉宮のことだな。
 「いかなる人が=どんな人が」不特定の人「かう様なる事=この様な事」「〜をかしうおぼゆらむ=~を興があると思うのだろう」夕霧の頭と平安常識で「をかし」の内容を推測。
 「懲りる+ぬ+べし」きっと懲りそう、いまにも懲りそうに夕霧には思われる。
いかなる人ってお前の父の光源氏だろうが。




 明けたらまた夕霧が言う。「人が聞いたらガキに思われる」「限り=終わり」と言うなら「さて=そう」してみよう。離婚上等
 「のたまひ果てば」現代語でも「果てナイ」で下一段「下二段『果つ』の未然形」+ば、仮定条件「もし、言い切るなら」意味も現代語から推測

 「かしこ」にいる家の子供達も「らうたげに=かわいく」(おかあさんを)「恋ひ」しているようだが、(昨日家に帰ったとき、子供が母を恋い慕って泣いていたことを言っている)。同情をひく押したり引いたり作戦。
 待っている子供もいるのに、あなたは(子供を)「選んで残す」、「様あらむ」とは思うが、子供を「思い捨てがたいので」わたしがともかく「もてなす=とりなす」しよう
 と、威す。
 夫が「この君達をさえ」知らない所に連れて行くのでないかと、妻は危惧。



 姫君に「いざ、給へ」と話しかける。
 昔やった「いざ、かいもちひせむ」覚えてる?
 「いざ、給へ=ぜひ、どうぞ」文脈から「さあ、いらっしゃい」と連れ帰る意図。
 お父さんは「はしたないので」あなたを見に、常には来ないだろう。「かしこ」の子供達もかわいいよ。せめて同じ場所でお世話しよう、兄弟いっしょに作戦。
妻が恐れたとおり、子供を連れ戻そうとする父。
  「姫君に」ではなく「姫君を」話す、では変なようだが、古文らしい。言ってみれば姫君を(そそのかそうとして)話す。尚、「姫君を、さあ、渡して下さい」と妻に話しているという説もある。鍵括弧も句読点も原文にないからであるが、括弧がつけられているこの問題では却下。問1


「いわけない(準現代語)=いとけない(現代語だぞ)」姫君
「あはれ=しみじみ」と見て
「母の教えに叶うな(な~そ禁止)」「思いとる方なき心(夕霧の考え方から推測)」が「いと悪しき」と夕霧は姫君に母が悪いと吹き込む。

「言ひ知らせ奉り給ふ」の『せ」。訳から考えよう。子供に、「言い聞かせ申し上げなさる」現代語でも「聞かせる」の「せる」だから使役。



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教科書にでない源氏物語