一回一回ペンを机に置く生徒がいますが、勉強中ずっと手にくっついて離れないペンでもあればいいですね。「あれ、消しゴムどこへ行った?」と毎回探す子は勉強に抵抗があるのでしょうか。なかには、授業中シャープペンの分解掃除を始める強者もいますが。集中の準備段階として大目にみることもあれば、注意することもおおありです。
シャープは芯が折れやすいし芯がでてこなかったりする。消しゴムも、使うのは仕上げる感覚でなら集中力の助けになるが、妨げになる人もいる。そういう人にはボールペン。きれいなノートを消しゴムを使って作ったほうが集中できる場合もあるだろうし、余ったプリントの裏をどんどん使って考えをまとめるのがいいこともある。消しゴムはメリハリをつけて使うほうが緊張感もあっていい。
たしかに、ゲームは楽しいし子供の社交にも必要。腕を磨き競うという面もあるし、昔だって囲碁将棋のような社交がさかんだった。しかし、ゲームは繰り返しが多く時間がかかるうえに、次第に惰性になってゆき中毒のようになる場合もある。その一方で、ゲームには選択肢で話が変わったりするおもしろい小説もあるし、計算ゲームのような知能開発系もある。情報機器を生かすも殺すも人次第。情報機器や本など含めメディアは教育に役立つようにも企画される。映像・動画は知的理解に威力があるし、朗読やいろいろな文化にも触れられる。小説や学習漫画や図鑑は工夫されていて面白く子供が暇な時に熱心に読む。これほど効率的なメディアがあるので、もはや人間はいらないような気もするが、家庭教師を忘れてもらっては困る。
お片づけのしつけは難しい。限界年齢もあるらしいし、日本人はモノを溜め込む性質があると精神分析の話題にものぼる。たしかに、かばんの中がプリントのゴミ箱のようになっている人が結構いるが、何か探すたびに鞄をあさっている姿はまるで。。。。。授業のプリントはおろかテスト範囲を書いた学校のお知らせさえ鞄の奥にしまわれて、定期テストの情報戦もすでに敗色濃厚。かと思えば一枚一枚面倒にも袋式のファイルにしまっておく人もいる。まあ、精神分析的にはこの両極端は共通点があるだろうが、それはおいておいて、出し入れがしやすい科目ごとのボックスにノートやプリントを入れておいたり、クリアファイルのような簡単な整理が「効率的」だ。
ノートになり、予定帳になり、タイマーになり、図書館になり、辞書になり、コピー機になる。テストやプリントを1ページまるごと写真に写して帰って、読む。iPhoneに付いてるカメラがやや暗くてB4の大きさだとぶれることが多いのが不満。家に国語、漢和、古語辞書など紙の辞書も何冊もあるがアプリも十冊も買ってしまって、まるで引き比べが趣味のようだ。そしてアプリの辞書のためにずっとiPhoneを使い続けなければならない羽目に。電話は使ってないのかって?。生徒は勉強に集中しているせいか(笑)振動音を私より早く聞き分けて「電話なってるよ」なんていうので使いません。
生徒が学校や塾に提出する予定の用紙に、私が赤ペンで書いてしまうことはあまりないがたまにある。「ああっ先生、それ書いちゃだめ」私「悪い悪い」と言いながら、消しゴムで紙を削るように消しても、赤インクがしみこんで後の祭り。最近売られている消せる赤ペンと赤鉛筆なら、そんなときでも大丈夫。
講演の演台に決まって置かれている水差し。話の途中、おもむろに大先生は水をついで飲む。いい文化だ。かっこいい。そこで私も、大先生ほどしゃべっているわけでもないのに机の上にペットボトルのお茶をおいて置く。そして、おもむろに飲む。リラックスもできるし、お茶はカテキンが入っているのでウィルス対策にもなる。うまい。何回も飲む。まるで大先生になったようだ。。。ぁの~、ちょっとトイレお借りします(汗)
大阪の夏。子供の家に着くまでに炎天下を歩いて大汗。エアコンの効いた寒冷地に入るのは遠慮される。近くの物陰で隠れて着替える怪しい人物となる。
札幌の冬。暖かい家を出て帰る夜道は酷寒。やはり鞄にはもう一枚が。