説明・論説・評論文の記述では、本文中から言葉を探して書くことになる場合が多い。そもそもこれら説明的文章は同じ内容を繰り返して説明することが多いし、繰り返されている重要部分は問題にもされやすい。そこで、よくある解答手順を記そう。設問に自分なりの解答をイメージしたうえで、まず、傍線部を手掛かりに、言い換えられている、または詳しく説明がされている場所を探す。それは一部分だけの事もあるし段落全体の場合もある。段落の関係をたどり、話の筋を考え、キーワードが共通するところを探し、いっしょうけんめい線を引きながら記述に使う言葉やフレーズを探すことになる。見つけたのが段落など広い範囲で、まとめることになる場合、抜き出しではまとまらず要約記述となる。高校受験などでは二カ所をまとめるのが暗黙の了解になってたりする。
このように、説明文では本文の言葉を使って文を作ることが多いが、記述の際には、自分の言葉として消化し、抜き出しだけに頼らないことも大切だ。中には物語文によくある記述問題のように、本文の言葉を使わないで自分の言葉だけで記述させる場合もある。大学受験になると評論でもこちらが多い。この場合は知識力や語彙力が物を言うが、出題者はそもそもこういう理解だけではない表現を求めていると考えられる。
物語文・小説の記述問題は、たとえば気持ちの説明など、本文に書かれてない「行間」を自分の言葉で説明することが多い。なかでも、登場人物の行動に傍線が引いてあってその行動の「理由」を述べよ、という形式は典型的だ。浦島太郎が亀をたすけた理由を聞かれて、その「理由」を外面的なものだけで「子供達が亀をいじめていたから(助けた)」と書くのでは充分ではなく、気持ちを含めて「いじめられている亀をかわいそうだと思ったから(助けた)」と書く方がわかるし、動機が理由としてはっきりしている。「かわいそう」の代わりに「見捨てておけない」「許せない」「窮地を救ってやりたい」など何が入るかは文脈によって適当か不適当が決まる。基本は何々な気持ち、の何々に当てはまる語彙を増やしておくのがたいせつで、何でも「悲しい」「くやしい」の数通りで済ます人がいるが、小学生でも受験校によっては高度な言語化能力が問われる。このような気持ちの言葉を体験や読書を通して知っておく必要がある。高校以降では、より高度・抽象的な言葉で答えることになり、気持ちそのものの言葉を使うことは少なくなる。気持ちが常識の範囲に入ったせいだろうか。ストレートに書くのが子供っぽく思えたりする。平安時代の気持ちをストレートに述べた和歌が後世すたれたように。世の中には不条理な感情を描く作家もいるのだが、そこから考えてみれば国語はなんとも常識の世界にいることだ。
平等に採点しなければ点数に意味がない。採点を客観化・標準化するために「採点基準」を設け解答を要素に分け要素毎に部分点が付けられる。入試の場合、その採点基準は公表されないが、それを想像できるのが学校発表の模範解答だ。これは普段塾で解き慣れている厳しい採点基準より若干甘いこともよくある。例えば、塾では、この程度の記述の採点基準は三つの要素が当たり前なのに、学校だと二つあればよしとされたりする。また、学校によって採点基準の志向が異なるので、過去問に当たりどのような傾向があるのか知っておくと有利だといえる。
入試の模範解答が塾予備校や各出版社によって異なることがあるのは読んでいて面白いが、実際の採点はどうなのか気になるところだ。ABCランク付けのような採点もされているようだが、答案数が多いとままならない。
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塾や指導者によっては、記述問題の字数が8割に満たないと0点とか誤字でも読めないからバツとして採点する場合があるようだ。さすがにしっかりした塾だとそういうことはなく、誤字マイナス何点、字数制限違反マイナス何点など採点基準がしっかりしている。
採点基準は「要素」によって決められる。「浦島太郎はなぜ亀をたすけたのか?」答え、亀がいじめられているのを見て(3点)なんとしてでも(3点)子供たちから救ってやりたいと思ったから(4点)。三要素で計10点という具合だ。記述がある程度でも要素を満たしているなら一定の得点はある。たとえば、物語ではいじめっ子にお金を渡して解決しているわけだから、二番目の「なんとしてでも」がでてくる。浦島太郎が「正義感が強いため」なら、お金を渡すことにはならないだろう、となり部分点がないことになる。採点基準には頭を使うのである。
制限字数の8割を埋めなければ0点という指導者はどんな指導をしているのだろうか。記述の問題数・配点にもよるのだろうが、字数が少ない場合は減点という程度が多いだろう。字数に合わせて整っていない内容を書く生徒も多いと思われ、採点基準との兼ね合いが難しくなるだろう。
字数制限のある記述は、暗にポイントを絞れといっているようなものだ。字数制限がなくても解答欄の枠の大きさで暗黙の指示を与えている東大や一部私立中学のような場合もある。字数制限では余計なことを書かなくていいとありがたいと思う場合もあるが、何をいれるか迷う場合もある。要約してもどうしても文字数がたりなくて書けない質問もある。その場合に何を捨て何を取り上げるのかは、工夫とアイディアと練習次第だ。字数が少ないのに無理して詰め込まない方がいいことが多い。一回りしてきてうまいアイディアをひねり出そう。考えすぎないように。言葉などを工夫できて不自然でないなら、できるだけ緊縮表現をしよう。
指示語が「何を指しているのか」というよくある問題は、小学生でも傍線の前(物語文なら後の時もある)を探して終わりにする人が多いようですが、むしろ後ろにどう続くか考えながら読むことが重要です。「これ」とか「それ」を含む部分は、後ろに続いているので、まず傍線部に解答案を入れてみて、後に続くか確認するのが大切。傍線部の一部に指示部が使われている場合も同様で、それが説明問題と組み合わせになっていることもある。この場合は指示内容の要約記述になりがちで、大学受験には良く出るパターンになっている。 まあ、指示語の難しい問題を作れるような出題は、たいてい元の文章がわかりにくい悪文だということですがね。
やはり、時間が。。。という人が多数派です。解答欄の頭から書き始めて途中で悩む人は多いですが、どうも時間と消しゴムの無駄になりそうです。そういう人こそ下書きです。まず短い答えを用意してそれに付け足していくのです。解答欄の終わりのほうから文を作るつもりで進めましょう。字数の8割を埋めるように先生に指示されているのが重荷になる場合も、無理して増やすより少ない字数できちんと書く方が大事。また、記述が長くて多い場合や字数制限のない場合。こういう場合は下書きとかする余裕がないことが多いでしょうから、自分なりの言葉を頭で用意して忘れないうちに書き進めてみましょう。
わかりやすくという以上は元の文がわかりにくいと言外にほのめかしている失礼な、いや、難しい言葉を知らなくても出来るありがたい問題である。傍線部が具体的にどういうことかとか、わかりやすく説明せよといった言い換えタイプの問題は、中学入試から大学入試まで形を変えてよく現れる出題だ。大抵は難しい言い回しやわかりづらいところ、言語化しづらい部分や筆者が端折った部分などに傍線が引かれている。まず、傍線部のどこを言い換えたらいいのか、常識力や文脈を追うことで判定する。次に、傍線内や関連部分の言い換えるべき言葉を、抜き出しや自分の言葉で置き換える。そして、それだけではなくて副詞とか助詞などのニュアンスや文脈内での働きも考慮しながら説明してゆく。あまり考えすぎて、かえってわかりにくく説明するのでいけない。
「尋ねられたことに答える」こと、まず自分の言葉で素直に(話して答える様な感じで)一言、また一行だけでも答えることです。もちろん読解に自信がないような場合があるでしょう。その場合は抜き出しに頼ろうとするのもいいでしょう。抜き出そうと探しているうちに意味が頭に入って来る場合があります。