家庭教師がお手伝い 目次 試験に出ない古文プリント 自己紹介と生徒募集
古典 古文、漢文
古文の意味不明
外国人に日本語がいかに難しいかを教える有名な一文
「私はうなぎだ」
この文は「食堂に入った」という文脈と、「うなぎはメニューである」という常識または予備知識がないとわからない。古文読解のうえで実にたくさん遭遇する「意味不明」もそれだ。今やうなぎも絶滅が危惧されているが、千年後には「うなぎ」も古語になり、「私はうなぎだ」という古文読解では、口語訳に(うなぎという焼魚を店で注文する)とカッコに但し書きが書いてあるだろう。
ありがたいもの、古文の現代語訳についている括弧。
会話文こそ意味不明、そのわけ
よく高校生は、古文で会話文は地の文より難しいと言う。だが、自分たちの普段の会話を思い出してみたらよい、「ウナギとか(笑) ありえねー!」「マジ古文最悪!」と言って済ましている。これらの会話はまったくもって理解不能だから「訳」が必要だ。「ウナギが話題に上るのはあり得なくおかしいことである」「マジメに考えても古文の学習は最悪な気分だ」と現代語訳!ができる。だからまあ、状況で何を補うといいのか考えるのが古文読解ともいえる。(以下宣伝)家庭教師のよいところは、古文の会話など流れを補いながら私がおもしろく現代語に訳すと生徒はつかえが取れたように解ってくれることだ。
ところでこれは、なにも古文でなくても小学生が国語で意味不明!な場合もこれだ。だから。必要なるもの、常識力、想像する力。
古典常識
古典常識に興味がないと古文はつまらない。男女関係のありようや親子師弟関係、私は古文は文法よりも古典常識が読解の鍵を握っていることが多いと思う。ただし、それは参考書によくある古文の常識よりも広く、物語やストーリー展開の常識、時代劇や落語に登場するような昔の人の考えの常識、読書や童話により培われる教養なども含む。スマホ画面に情報が次々流れる時代、昔の事などとても気にしていられない生徒も多そうだが、古典を通じて、前近代的感情にも「今でもある」部分にも共感できるのはおもしろい。
古典文法と学習
「私はうなぎ」の例では「『注文する』を省略した文型」「助詞『は』は主語というより『提示』の意」等と文法の知識があれば尚納得しやすい。 はず。 だ。 と、思うのは残念ながら先生だけで、文法があるためにいっそう嫌いな人の多い古文だが、折角学習するのなら、楽しいに越したことはない。とりあえず、注を見ながら多読を。おすすめするもの、適当に短いもの、恋愛もの、怖い話。伊勢物語、江戸怪談、今昔物語。やばい話を含めプリントを用意してみた
古文単語
まばゆい光、そしる、かたじけない、いにしえ、さしあたって、はかばかしい、篤い病……といった言葉は現代語で、源氏物語冒頭に登場する。これらの語彙は、小説はおろかマンガにだって出てきそうな言葉だのに、これら現代語自体を知らない高校生が多い。古文単語は現代語から連想して学ぶのがわかりやすいと思うが、現代語さえも知らないこの状態では、古文がまるで英語の単語を覚えるような学習になる。語呂あわせの古文単語集が売れるわけだ。読書をしないせいだろうが、現代語の知識がないと古文は難しいな。
とりあえず、古文初心者の自覚がある人はまず単語からスタートするとよい。ある程度の単語力があり助動詞が訳せれば古文はそこそこ読めるようになる。ここで単語力増強の心構えを二三書こう。語源や他の語と関連づける(めづ-めでたし-めずらしィ、なま-なまめく…)。漢字を意識する(愛ウツクし、愛カナし、避サる、去る、然る…)。語の感覚と広がりに留意する(わぶ、わたる、すずろ…)。平安時代でも現代語と同じ意味で使われれたり、意味が広かったりすることがある。
しかし、実際には「よくでる単語」の知識だけでは対処できないことが多い。文脈から語の意味をおしはかりながら読む。元々、古語辞書だって、いろんな例から推測で作られたもので実は発展途上だ。思うに、言葉への意識や愛着を持つことが役に立つ。きっかけは本の中だけでなく、身の回りにだってある。たとえば方言で「~べ」というのは元助動詞「べし」だ。推量、意思、適当、勧誘など意味も古文同様だ。古語辞書を紐解くのは日本語のルーツを探る作業でもある。
漢文
その昔は日本人の教養の中心だった漢文も、今やその地位を英語に譲り、センター試験の一角で「点の取りやすい」科目としてなんとか生き残っている。試験では、注釈を頼りに、何度も読み返せば、意味は少しづつ判ってくる。そこまで行くためには、ある程度の練習と、漢字の知識は必要だ。漢文はまた、声を出して読んで語呂がいいように訓読される。この、漢文訓読独特の語調が面白く思えるようになると、あなたもご隠居、いや教養人の仲間入りだ。