夕顔 その2

 中秋。今宵は十五夜。煌々と照らす月影が、隙間の多い夕顔のあばら屋に漏れてくる。宮廷では見られない。
  近所の色々な物音がする。 
  中でも、女が男の服をやわらかくするために打つという砧の音があちらこちらから聞こえ、憂いがこもっている。「人恋しい。」

八月十五夜(はちがつじゅうごや)、隈(くま)なき月影(つきかげ)、
白妙の衣うつきぬた砧の音、空飛ぶかり雁の声、 忍びがたきこと多かり

 過ちの始まりだったのかもしれない。「気楽なところへ行きましょう、」と、源氏がいう。「月に誘惑されるといやだわ。」ためらう夕顔。
  どうして付いていったのだろう。源氏が抱きかかえて牛車にのせた夕顔はちいさかった。右近も牛車に乗った。右近は夕顔と幼い頃からいつも一緒にいる同い年の召使だ。
 
  着いた家は、源氏が一晩だけ借りたのだ。が、十五夜なのに木が茂って真っ暗だった。

   いにしへもかくやは人の惑ひけむ 我がまだ知らぬしののめの道
源氏の歌。「いにしえにないほど、私は迷ってしまった。まだ経験したことがない、夜遅くの恋の道」
返し
  山の端(は)の心も知らで行(ゆ)く月は うはの空にて影や絶えなむ 心細く
夕顔の歌。「山の端に月がしずんでいく、光が絶えてしまい、命が消えてしまいそう。怖い」。
 
  「大丈夫、鬼だって僕にはかなわないさ」
 
  夜があけてくると、不安は減る。しかし、ふたりにとって初めての昼。 
源氏が歌いかける
「夕露に紐解く花の、露の光はいかに?
「昼間の僕の姿。どんなだい?」
夕顔の応え。
「たそかれどきの空目なりけり。
「光のように素晴らしいと思ったけれど、あの時は夕方だったから、よく見えたのよ。光だと思ったのは見間違いね。」

 打ち解けた物言いがうれしい。「この強さ。最初に和歌を受け取った時の感動を思い出す。この女は手放したくない。」


 
夕方、女は「暗くて気味が悪い」と言って、源氏と沿い伏している。それでも、たくさんの悩みを忘れて、そばに寄ったままで、打ち解けてくる姿がかわいらしい。

  たとしへなく静かなる夕べの空

 「帝も今頃自分を探しているだろう。また、六条御息所も気の毒だが悩んでいるだろう、」あれこれ思いはつきない。宵もすぎるころ、源氏はすこし うとうとした。 

 枕の上に、きれいな女が座っている。
「 己を尋ねず、かく、ことなることなき女とおはして、いとめざましくつらけれ」

 「悪い夢を見たのか?」源氏が目を覚ますと、明かりの火が消えている。

「物の怪だろうか?」太刀を引き抜く。右近を起こす。
「 人を起こして、『あかりをさして参るように言へ」
右近はちぢこまっている。「暗くて行けません。」
源氏は笑う。
「我が人を起こさん。」源氏が手を叩くと、その音がわんわん反響する。戸を開ける。渡り廊下の火も消えている。その先にいた三人を源氏は探し出して起こす。
「あかりをさして参れ。弓を打(うち)、絶えず声を作れ」
  源氏が戻る。夕顔はまだ倒れている。右近もその横で伏せてふるえている。
「私がいる、さやうのものには脅されん」

夕顔を探る。息をしていない。

家来が明かりを持って来る。女達がいるのを遠慮して中へ入らない。源氏は「場合を考えろ」と叱り付け、あたりを照らしてみる。

見ると、枕の上に先ほどの夢の女が現れる。ふっと消える。

源氏は夕顔を起こす。夕顔の体はただ冷えに冷えきっている。息がない。

「いといみじき目な見せたまひそ」

惟光はこんな時に限っていない。惟光の兄は僧侶だ。「こんな時は仏の力だけがたよりだ。」しかし、夜は、なかなか明けない。風の音が荒々しい。魔物が背後にしのび寄って来る気がする。長い。千の夜を過ごす心地がする。 

 

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