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小論文を実際に書いてみる 

小論文採点基準例(PDF)


小論文についてのべる

 

 小論文ではいったい何を評価し、採点はどのようなものになるのでしょうか。出題の意図はそれぞれですが、共通するものを 別紙(PDF) に書いてみました。

 まず必要なのは知識

 見ず知らずの人と話すことになったら?話題は天気? 芸能界の話?。話が通じそうなテーマというものがあります。これは作文なら生活体験などですし、小論文の場合は、学校で習ったはずの社会の教養・常識、時事問題、知っているはず専門分野の基礎知識などです。必要な知識がないと書くことが見つかりません。
 もちろん小論文は意見を書けばいいのですが、前提となる知識に基づかないと伝わりません。それも単なる知識だけではありません、反対意見とその理由や異なる立場からの見方など、狭まらず偏らず考えの由来や次元を行き来する力など、知識だけではなく視野を広く持っておきたい。

 ネタが勝負

 課題文や資料を示されても、ただ要約・説明して一言だけ自分の考えを述べるのでは芸がありません。問題の切り口やアイディアを思いつくのも知識が元になります。そのネタが勝負。展開のしかたなどは書いているうちに思いついたりします。案外、練習を重ねることで上達するところもあります。

 論理性 対比・対立を考えながら

  ただ自分の考えとその理由さえ述べれば、小論文は成りたつのです。親にものをねだるときは、なんとか正しそうな理屈をつけて正当化するでしょう?。「いま大人っぽい服を持っていないから服が欲しい」小論文でも理屈=論理にそって正当(そう)な意見なら納得されます。しかし、実際には気付かず非論理的に書いたり、それどころか理由がなかったりします。そこでまず、二元対立の小論文を練習して論理性の基礎を養いましょう。「学生服で十分か大人っぽい服が必要か」「学生服は是か非か」対立の一方に立つ練習です。重要なのは相手の意見を想定した上で反論、つまり、対比を作り主張することです。この時「大人っぽくありたい私も一理あるが、学生らしくあるべきというお母さんも一理あると思う」では何が言いたいのかスタンスがはっきりしません。「たしかにお母さんの意見は一理あるけれども、この点がおかしいと思う。」と書きます。思いっきり一方的な視点から書きましょう。小論文練習の第一歩は妥協せず「ひとつの目的のためにひとつのことを書く」ことです。多少過激になるかもしれませんし現実離れする恐れもあるものの、意図はわかりやすくなります。

 筋違いの論理

 服も欲しいが靴も欲しいと書くのは散漫です。また、論拠を「なぜなら、これこれで必要だから」と書くべきところに、方法論や条件を「理解のある親であるべきだ!」とか「こういう事項にお金を払うべきだ!」のようなことを書いたりする人も多い。このたとえを「親」じゃなくて「政府」に変えてみるとよく出現しそうと思いませんか。ああすればよい、こうすべきだと方法や対策を書くのはむしろ簡単です。このような建設的な意見を評価するような場合もありますが、「論」とは少しばかり次元が違います。
 「確かに~しかし~」を使うといいとマニュアルに書いてあったからと強引に使う人を散見します。「確かに家は貧しい、しかし私は服がほしい」では筋が飛んでいる。「確かに家は貧しい、しかし衣料費に回す分はある」。また、気が付かずに同じようなことを繰り返して書く人も多いです。論の展開が難しいのでしょう。論の展開・アイディアが小論文の工夫のポイント。あまり主張にがんじがらめにならず、じっくり案を練りましょう。

 考察力・見識 小さなテーマで書く

  意想や着想、問題を発見し分析し解決する考察力のすぐれた記述は、高評価をしたい。それは、筆者のものの考え方が現れているからです。しかし、ついつい平凡無難にまとめたり空論を書いたりしてしまいがちです。でも、読んでいてリアリティあるすぐれた見方は読者を自然と引きつけ、頑固な採点者にも納得されるものです。また、書くときに何かに遠慮して中途半端に書いてしまう人も見受けられますが、思いきって書くのがいい場合も多い。
 このとき、大きなテーマを持ち出すとかえって漠然と書いてしまうことが多い。「愛について」書くよりは「高校生の男女間の愛」などと限定したほうがいい。論点を整理し思い切って絞り込んだほうが論理的にもなります。

 客観性

  小論文は客観性の修行かもしれません。他者の視点や、社会で一般的な見方考え方を想定する必要があります。そこから出発すれば、たとえ見解がひとりよがりで主観的で偏っていたとしても(どんな見解も実は偏っているのでしょうが)何らかの主張をすれば他者を納得させられるかもしれません。しかし、そうしない人もいます。たとえば、細かい説明などしなくとも分かっているはずと問答無用の一文を書いてしまう。いきなりで客観的ではなく感じられます。自分が当たり前だと感じていることが他の人にとっても当たり前なのか考えなかったのがうかつです。また、ネット普及のせいなのか、一面的だったり、視野の狭い知識を信じていたりする人も増えているようです。重篤になると、陰謀論にはまり、先生が「新聞を読む」ように言ったら、マス「ゴミ」が言うことは誤りだと主張します。一方的・偏狭な考えは昔からあることかもしれませんが、小論文によって広い考え方ができるべく私のほうでも陰謀を巡らせます。

 表現

  受験者は無意識のうちにも相手を仮定して書いているはずです。頑固親父の採点官か、優しい小母さん先生か。それとも、教授の下請けの意地悪学生?。どうせ相手は正体不明なんだから気楽に書けばいいようなものですが、不安なことであります。もし何かユーモラスなことを書くにしても、読む人がどんな人であってもわかってくれるように気をくばることでしょう。相手を意識した表現の工夫が必要です。

 リアリティ

 志望動機などは、リアリティが説得力を生み出します。例えば、マリアテレサを読んで看護師を志望したとしても、それをどう具体的に自分の心情として表現すれば本当のように感じられるでしょうか。また、自分の体験を語るときも、ありきたりではなく地に足がついた表現があるとよい。将来の夢を語るときなら尚更のこと、自分の子供性?や大人性?が現れるので、ここは語る相手を想像して丁寧に物語ってみてください。